今でこそ「不登校」は一つの選択肢として理解されつつありますが、当時はまだ「甘え」や「わがまま」といった捉え方が根強く残っていた時代でした。
市役所職員さんにもその理由としては弱いですねとはっきりと、学校へ戻った方が早いですよという意見でした。それはそう、ごもっともですよ…。でもできない状況だから来たんすよ…(ヽ´ω`)
当時、中学生だった私は、学校に行ってないという事実だけで恥ずかしさみたいなものを感じ、市役所の方と話している母の横で「もうよしてくれ〜」とこの場から逃げたい気持ちだけでした。
「学校へ戻った方が早い」と言う市役所の方
「近くで通える場所は無いか」と聞く母
「恥ずかしさで帰りたい」私。
なかなか話が進まない中…痺れを切らした母が動き出しました。
母はよく自分の中の「理不尽」だと感じたものには
「話さないとわからないでしょ!」
の大義名分のもと、どんな人にも臆さず意見をぶん投げて、納得いくまで討論をしていました。
結果、分け分からないカオスな状態になる事もしばしば有りましたが^^;
「貴方の活動限界はここまでなの!?」などとエヴァみ溢れる詰め寄る姿は、子供ながらに怖かったですね。
今振り返ればあの激しさは、私を守るための決死の覚悟の「義」だったのだと感じます。
50キロ先(!?)の施設を勧めるような当時の環境下では、母が声を上げなければ、私の居場所は自宅のみだったかもしれません。
正しいか正しくないかよりも、「目の前で困っている子どもがいる、その思いを、少しでも大人としての誠意ある仕事を、子どもに見せてあげてほしい」と必死に伝える母。
強引なところがある母。だけどそれも母なりの愛。
この話し合いは私だけの為じゃない、私の後に続く誰かの未来に繋がるような行動なのだと後々気づくのですが…。
止まっていた私の時間を少しだけ動かしてくれた、そんな回でした。













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